いつか読む手紙
酒席で双子の男の子を育て上げた女性から、子供たちが幼い頃に持たせていたお弁当に毎日お手紙を入れていたという話を聞き、いたく感動したことがある。
子供のお弁当に入れる手紙の何に感動したかというと、その小さなメッセージがやがて反抗期たけなわになった息子が大喧嘩の末に彼女の作ったカレーの皿に「カレーうまかった、ありがとう」と一言添えるという、思春期ならではの素直に言えない、しかしこれ以上にない「謝罪の手紙」を書かせるに至ったことに「手紙の持つ力」を見たからだった。
ちょっとばかりグレたり問題児になったりしても、ちゃんと根っこのところにしっかり刻まれているのは、母親からの手間暇かけた愛情の手紙なのだろう。
彼女はそのカレーのシミをつけた一枚のメモを見て号泣し、今も大切にしまってあると言う。
E-mailやラインがコミュニケーションツールの主流となり、手紙というものがずいぶんと廃れ、もはや「文通」などというものは絶滅し、大きな玉ねぎの下で会いましょうとかいう歌もなんのことだか理解されないような時代になってしまった。
私はそのことがとても残念でならない。なぜ人は手紙を書かなくなってしまったのだろう。
かつて通信手段が「手紙」より他になかった頃(電報はこの場合除外する。あれは緊急の場合に使用するものなので)、人は誰でもコミュニケーションとしてだけではなく日々の徒然からちょっとしたお礼や連絡事項、季節の挨拶ご機嫌伺いまでとにかく手紙を用いていた。
私の愛読書にウェブスターの「あしながおじさん」があるが、これはまさしく手紙の用途のすべてを用いて構築されたストーリーが見事な作品だが、この作中の特筆すべき点は「手紙文の感情の豊かさ」だと思う。
生活のちょっとした出来事や発見、感じたことなどを実に豊かに手紙にしている。時に感情的になり、怒りや嘆きが噴き出すのもまた人間らしくていい。自分の置かれている環境や周囲の人のことを記すのもまた「伝えよう」という気持ちがあるから鮮やかで臨場感に溢れている。
この作品は手紙とはこうあるべきものだというお手本だ。こういう手紙を書かなくてはと思う。が、それなのにこれがE-mailではそうはいかないから不思議だ。
E-mailの手軽さ便利さは素晴らしいと思うし、世界がいつでもオンラインで繋がっているというのは画期的だ。指先ひとつで「メール」はぽんと相手に届く。返事だって即座にくる。旧式な「手紙」とは大違いだ。手紙は便せんに書いて封をして切手を貼って投函し、返事は来るのか来ないのかさっぱり分からず、いやさそもそも手紙が相手に届いたんだかどうかも判然としない場合があるというのに、メールときたら届かなければ「届かなかったよ」とわざわざサーバーが教えてくれる。
この素早さがあるというのに、メールには日々の徒然や周囲のことなどを描写し、長々と書き連ねて送ったりはしないのはどうしたことだろう。
切手を貼ったり投函したりする手間がない分だけそのぐらいなことはできそうなものを、なぜ用件だけを無味乾燥にやりとりするだけなのだろう。
コミュニケーションツールが便利になればなるほど言葉も同じだけ簡略化されていくような気がする。人は多くを語らず、コミュニケーションも希薄になる。一言ですべてを表わすことができるほど人間は器用ではないし、受け手側もそこまで察しがいいわけではないのに誰も多くを語らず、言葉を尽そうとはしない。
私は人と人とが繋がるには言葉がなくてはならないと信じている。しかもそれを濃密にしようと望む場合、けれど実際に会って親交を深めることができない場合「あしながおじさん」の如く多くの語彙を用いたメールなり手紙なりがなくてはならないと思う。
私は夫との交際中に手紙を書いて、実際に切手を貼ってちゃんとポストに投函していたことがある。
これも前述の通り、メールではとうてい自分の生活に起こる瑣末な出来事を記せないと思ったのだろうし、「親交を深めたかった」のだろう。多い時には週に2度も送っていた。
内容は、本や映画の感想、日々の徒然、ちょっとした出来事だった。
普通そういうのは電話でやりとりするのかもしれないが、仕事の都合で帰宅が深夜であり、また自分の自由な時間も深夜にしか持てないので電話は却って不都合だった。
手紙は200通を超えただろうか。一体どのぐらい書いたかもう覚えていないがかなりの数になっていると思う。夫からの返事はなかったが、それでも私は「伝える」手段として手紙を用い続けた。
時々はいいことも書いたように思うのだが、夫がどう思ったかは知らない。
手紙といえば、私にとって生涯忘れられない大切な手紙がある。それは母からの手紙だ。
若い頃、私はちょっとした家庭内のごたごたで家を出たことがあった。友人の家を転々としたり、当時交際していた男の子の部屋に転がり込んだりしていた。その時、母が私に宛てた手紙がそれだ。
母はその手紙の中で、それまで厳しかったことや兄と比較し続けてきたことなどを詫び、また、私の身を案じてくれていた。そして「これからお母さんと友達になろう」と記し、最後に「一人になることが大人になるということではないと魔女の宅急便でも言っているから、早く帰っておいで」とあった。
世の中の何もかもが面白くなく不貞腐れていた私は泣いた。母が初めて私に歩み寄った手紙だったし、愛情の手紙だった。この手紙は今読み返しても泣いてしまう。こんなことを口で言えばまた反抗の種になるだろうし、いや、そもそも素直に聞こうという気にもならなかっただろう。こういう手紙は生涯に一通きりだし、今後も決してないと思う。
そして、もしこれがE-mailだったらこんなにも私を泣かせたりしただろうか。
手紙だったからだ。母の認めた文字の一つ一つが貴重であり、とにかく手で触れることのできる確かさがグレた心に沁み入って私を泣かせ、家に帰らせたのだ。母がこの手紙をどんな気持ちで書いたか想像するだにせつない。何度も書き直したかもしれない。言葉を選び、迷い、書きあげたことだけは理解できる。
人は人生のうちにどれほどの手紙をやりとりするだろう。
その中に生涯大切にとっておきたいような手紙をどれだけ受け取ることができるだろうか。そして自身がそういう手紙を書くことができるだろうか。
母は自分の母親即ち私の祖母にあたる人からその半生を綴った手紙を受け取っている。父が船で外洋にいる時に交わした手紙も残っている。
手紙という手段より他になかった頃のこととはいえ、これがE-mailやラインだったら後に残したりしただろうか。何十年先までも、折に触れては読み返すことがあるだろうか。
冒頭の「お弁当にお手紙」を聞いて以来、私は時々は日々の不満も漏らしつつ、毎日「お仕事ご苦労さまです」で始まる一枚の手紙を、ただのメモ用紙に書き殴りの文字ではあるが夫のお弁当に入れている。