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Jonney'sEntertainment

 テレビをあまり見ないし、興味もないのだけれど

SMAPの解散に関する報道を見聞きするにつけ、ジャニーズというアイドルに思いを馳せる今日この頃である。

 見ているだけで息苦しいような、胸騒ぎのようなものを覚え、見つめていたいと思う気持ちと裏腹に目をそらしたいようなざわざわとした落ち着かない感情を「ときめき」だとか「憧れ」だとか呼ぶには私は幼く、自分の中に芽生えた感情に名前をつけることもできずうろたえていた。それはテレビの画面に映し出されたジョン・ボン・ジョヴィを初めて見た時のことだった。1985年のことだ。

 私の家はテレビの歌謡番組やドラマを観る習慣も嗜好もなく、だから私は自分が小学生であった頃の昭和60年あたりに流行った曲も知らなければ、芸能人もまるで知らなかった。

 今のように情報社会ではないし、インターネットで検索することもできない時代のことである。知らないということは、そのまま世界に存在しないも同然のことだった。知らないのだからそれについて誰かと話すこともなかった。

 ようするに自分はほとんどの人が当たり前に生活に取り入れているテレビ(メディア)という媒体が発信するものをまるっきりスルーして育ったということになる。

 あれは小学6年生ぐらいだったろうか。クラスの女の子たちの会話の中から誰がかっこいいだとかきゃーきゃーと騒ぐのを初めて聞いたのは。

 いや、それ以前にも聞いたことがあったかもしれないが、知らないということはそのまま関心のないことでもあり聞き咎めることもなくその日まで過ごしてきたわけだが、その時に限ってなぜかはたと耳に入る彼女たちの言葉に興味よりは危機感のようなものを感じ「自分だけ、知らないんだ!」ということにも気づいた。

 それはそのまま「焦り」へと繋がった。自分の知らないうちに周りの子たちはみんな「アイドル」という人たちを選びとり、その歌を声を揃えて歌い、家に集まっては録画した歌番組を観て画面に向かって声援を送っていたということを、本当に「生まれて初めて」知り愕然とした。「知らない」からこそそういう場に呼ばれもしなかったことに寂しさと疎外感を感じた。

 女の社交というのは社会人にとってのみ複雑で面倒なものではない。子供にも社交はある。グループ同士の対立もあれば、「つきあい」というものもある。ただ仲が良いから一緒にいるのではなく、そうせざるをえなくてする場合だってあるのだ。私は「テレビを見ない」ことにより誰とも共通の話題を持っていないことを知った。と同時に自分が女の子たちの中で孤立しているような気持ちになった。

 その日から私は慌ててテレビを見るようになった。

 当時、女の子たちの人気だったのは「光GENJI」だった。私は放課後にクラスの女の子の集まる家に行き、一緒に歌番組の録画を観た。

 それは私にとってある意味衝撃的な場面だった。5~6人の女の子たちが彼らの出番に一斉に黄色い声をあげ、その一挙手一投足に大騒ぎし、誰か好きだのかっこいいだのと言い合いうっとりした眼差しで熱く語り合う。自分がこれまでに一度も見たことのない光景だった。

 休み時間に一緒にバスケットをやったり、放課後に自転車を乗り回したりしていた彼女たちはどこにもいなかった。自分が見てきた姿とまるきり別な女の子たちがそこには群れていた。

 私はとにかくこの「光GENJI」という人たちの「情報」を集めなければと思った。でなければ彼女たちの話の中に入っていくことは到底できないと思ったのだ。「男闘呼組」も当時人気だった。「ジャニーズ」という存在を知ったのもこの時が初めてだった。

 誰かを好きにならなければいけない。今となっては馬鹿馬鹿しいと思うが、私は孤立することを恐れていた。女の子たちの話す内容がまるきり理解できず、だんだん遠ざかっていくことが怖かったのだ。私はとりあえず誰かのファンになることにした。

 その「選び方」というのが情けない話なのだが、「あの子は○○のファンだから、ライバルみたいになるといけないからやめておこう」とか「○○なら逆にファンの数が多すぎるから、目立たなくていいや」といった実に後ろ向きな方法で、本当は好きだと思っても気の強い女の子たちがその人のファンだとなると絶対に口にすることもせず、自分はあえて「あまり誰も注目してない人」を「好きなふり」をして、教室の社交に参加するようにした。

 ようするに自分は誰かを好きになる時にライバルがいるとすぐに気後れがしてしまい、遠くからひっそり想っているような少女漫画みたいな女の子だったことになる。いや、それではあまりに可愛い言い回しだ。実際は人の顔色を窺い、姑息なことばかり考えている嫌な子供だったと思う。

 女の子たちの社交から弾かれて、具体的に孤立してしまったのはその後のことになるのだが、大人になった今思うと本当に情けない努力をしていたのだなと、思う。

 そしてあの頃を思い出せば結局あの女の子たちの悲鳴にも似た熱狂的な声援の、そうする意味を一度も理解することができなかったなと思う。なぜあんなにも言葉にならない悲鳴を力いっぱいあげるのか、真のファンとはそういうものなのか、ファンだからこそ言葉にならない熱いものがあるのか。今も不思議な気持ちになる。

 それにしてもジャニーズの排出するタレントにはずいぶんとお世話になったのも事実だ。私はそれまで一度も男の人を好きともかっこいいとも思いはしなかったけれど、女の子たちの社交に参加するべく集めた情報によって初めて自分がどんな人をかっこいいと思うかを知ったのだから。

 大人になった私はもう他人との競合を気にすることもなければ、わずらわしい社交もしなくてよくなった。そのことに心から安堵している。今は素直に「嵐」なら二宮くんと櫻井くんが好きだなと言える。無論きゃーきゃー言ったりはしないのだけれど。

 しかし、直感的に、一目見て言葉にできないようなときめきを抱いたのは後にも先にもアクシアのCMで膝まで水に浸かって歌っていた金髪の「Jon Bon Jovi」ただ一人だけである。


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