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先生と私

ここ2年ほどになるがヴァイオリンを習っている。

 実は20年以上前に少し習ったことがあり、その時に楽器は手に入れていた。

 中古の練習用ではあったものの、私が初めて自力で買った楽器で(代金はアルバイトしながら分割で親に返済した)、当時「弦楽器」に憧れていた私は教室も自力で見つけてきて、月謝もバイト代から捻出して学校の帰りに習い始めた。

 しかしながら、憧れのヴァイオリンは高校卒業するあたりから続けることが苦しくなり(主に金銭的に)、辞めてしまった。私の手元には楽器だけが残った。

 けれど私はいつかきっと、またレッスンを受けようと固く心に誓っていた。

 というのも、今のようにインターネットが普及している時代ではなかったので習うといっても情報は少なく、選択肢も少なかった。

 私が見つけた某スクールの先生は、レッスン初日に私を見てこう言った。

「今からやっても音は出ないと思うけど、まあ、やってみれば?」

 悔しかった。これが今から習おうかという生徒に言う言葉か。

 確かに難しい楽器であることも、みんな小さい頃から習ってくることも、才能がなければいけないという事も分かっていた。

 この先生は私に教えても無駄だと思っていることも、レッスンを受ける間ひしひしと感じていた。

 ヴァイオリンを辞め、働き始め、20年の月日が流れる間、私は心の隅でいつも「ヴァイオリン、習いたいな」と思い続けていた。

 教室を探し、先生を探し、時間の不規則な仕事の合間に習うことができるかどうか。問い合わせ、体験レッスンを受け、キャンセル待ちをした。

 そしてある日某スクールから連絡がきた。問いた合わせから一年がたっていた。

 仕事帰りに行ける場所、夜9時からのレッスン。曜日は仕事の都合に合わせて毎回違う日を相談できることが実現可能になったとの知らせだった。

 私はすぐに体験レッスンを頼み、先生に会った。

 先生はとても若く、指導経験は浅いようだったが、教えながら自身も、この感覚的な音楽というものを、指の使い方、腕の動かし方を「どう言えばいいのか」「どうやって伝えればいいのか」を苦心してくれた。

 いい先生だなと思った。一生懸命教えようとしてくれている。習い始めることを決め、私も先生の教えに応えられるように真面目に練習するようになった。

 正直言って、今までの人生でもっとも真面目に練習している。

 それを考えると私はK先生のことを思い出す。

 最近はどうだか知らないが、クラスには尋ねれば「ピアノを習っている」子は男女を問わず必ずといっていいほど何人かはいた。今でも会社だろうと酒席であろうと「ピアノを習ったことがある」人は最低でも一人はいるだろう。そのぐらいピアノという習い事はポピュラーなものだった。

自分も習いたいと言ってピアノを習い始めたのは5歳の時だった。

 先生は学生時代に両親のやっていた喫茶店にアルバイトに来ていて、卒業後にピアノ教室を開いた人だった。

私は音大を出たばかりのK先生の「最初の生徒」となり週に一度先生のところへ通うことになった。

 バイエルやソルフェージュ、お歌の練習だの習ったことのある人なら分かるだろうが基本的なことから始まり、レッスンは忠実に進められた。

 しかし、である。これは母の証言によるものだが、5歳の私を自身の「最初の生徒」として教え始めたK先生がほどなくして母に申し出たことがあった。

「失礼ですが、お父さんかお母さんのどちらかが音痴では」と。なんの冗談かと思う質問だが、K先生は真剣にこう続けたらしい。

「まきちゃんの音程がどうしても……」

 聞けば当時の私は楽譜を読む練習と聴音のレッスンで先生の弾くドならド、レならレを歌うはずが、なにを聞いてもどれを発しても「すべて同じ音」で歌うというある意味すごい「離れ技」をかましていて、何分にもK先生も若くキャリアもなかったことで仰天、困惑してしまい、いくら教えてもドレミの音階をすべて同じ音で歌う子供を前にして「この子を教えていく自信がない」とまで思ったという。

 母は若い頃から九州流の地歌三味線をやっていて、音楽には自信があるらしくK先生の発言に対し即座に「自分ではないと思う。お父さんが歌っているのを見たことがないから、たぶんお父さんだろう」と音痴が遺伝なのかどうだか知らないが父に娘の不始末の責任を負わせた。なかなかいい性格をしていると思う。

 まあそう言わずになんとかと母が言ったのかどうかは知らないが、K先生はとてつもない音痴の私をそれから20年教えてくれた。

 しかし、5歳の私が「みんな習っている」から習いたいとごねたピアノを、それではどれほど真面目にやったかというとこれは今でもK先生に心から申し訳なく思うのだが、私は先生の「最初の生徒」でありその後の20年間で「もっとも練習しない生徒」だった。

レッスンというのは常に楽しいばかりのものではなく、単調だったり退屈だったりすることもある。ましてや基礎を繰り返す子供のうちは特に。

練習というのはそういうものだと大人になれば分かることだが、子供には「おもしろい」と思えることがすべてであって、もちろん練習すれば先へ進んで上手くなって弾くこともおもしろく思えるのだけれど、そこへ行きつくのがこれまた子供には難しいことなのだ。

根気のない私はとことん練習しないで長い年月をのらくらやってきた。

のらくらでも続ければ、のらくらと弾けるようになってはいくのだけれど、決して「上達」はしない。そういう私をK先生は「根気強く」教えてくれた。

 それでもなかなか練習したという時もあるにはあって、中学の合唱コンクールの伴奏をやらされた時にはK先生も必死になってレッスンをしてくれた。

 この時のレッスンのおかげで飛躍的に前進したのだが、もともと練習しない癖があるものだからあとはまたのらくらに戻って行ったのは言うまでもない。

しかしこの長いのらくらの間、ろくに弾かない割には私は一度も自ら辞めたいと思うことはなかった。

 友達と遊ぶ放課後の方が大事になっても、受験の時など同じ年頃の子たちが辞めていく時期になっても私は辞めようとは絶対に思わなかった。

 高校時代「自分で月謝を払う」よう申し渡され、放課後に店の厨房で働いて得たお金から捻出せねばならなくなりお小遣いがなくてきゅうきゅう言っても、それでも辞めようとは思わなかった。大人になってひどい貧乏な暮らしをした時も食費を削ってでもK先生のもとへ通っていた。

 今、K先生は発表会の後の打ち上げに店に食事に来てくれる。お手伝いをしてくれる生徒さんには私も知っている顔がちらほらある。K先生は笑いながらこう言う。

「練習してこない子ほど、続く」と。

 練習しないといけないというプレッシャー。練習ができなかった時のプレッシャー。真面目に取り組む子ほどそういったものに苛まれ、苦しくなって辞めてしまうそうだ。

 が、最古参のらくら生徒代表の私のような不真面目なのは、練習しなければいけないのにやらないでいて、それで自分を責めたりしない能天気なお馬鹿さんだから弾けなくても気にしない。それでも平気だから続けられるのだ。

 聞いていて恥ずかしく、先生に申し訳ないと思ったが、私はもう一つ理由があると思った。

 ろくに弾けなくても、弾こうという努力もさしてしなくても、それでも辞めない理由。それは「好きだから」だ。

 と同時に、のらくらを許し、叱ることもせず、辛抱強く丁寧に導いてくれたK先生が「好きでいること」を教えてくれたからだと思う。

 ピアノに限らずどんな楽器でも習う時に重要なのはまず善き師匠だ。そしてその楽器を、その音楽を、好きでい続けること。これは恋愛に似ていると思う。

 恋愛はいいことばかりではない。辛いことも苦しいこともある。腹の立つこともある。それでも継続していけるのは相手を好きでいるという前提あればこそだ。ピアノも、そうだ。

 下手でもいい。プロになるわけでなし、音楽を愛し、楽しむことができればいい。血の出るようなレッスンなどできなくてもいい。のらくらなりにただ続けていけるなら、それはそれで大切なことではないだろうか。

 今、ヴァイオリンを真面目に練習している時、K先生を思い出しては「もっと練習すればよかった。申し訳ないことをした」と思う。

 思うからこそ、真面目に練習したいとも、思う。

 ピアノを辞めて10年以上たつが、K先生は今でも私の師匠だ。


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